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八六年度の対外証券投資は、合わせて一六兆五七九八億円で、うち九○・二%が公社債であり、しかも、日本の製造業の大企業は、あいつぐ海外生産で日本の産業「空洞化」を進行させたが、銀行や証券会社は、このように巨額のマネーを海外に投資し、マネーの「空洞化」を進行させている。
金融大企業は、「金融の自由化、国際化」によって、ドル安・円高を活用しつつ、海外にビジネス・チャンスをひろげ、多国籍企業として急成長している。
それとともに、日本はマネー大国といわれながらも、総合収支が大幅赤字であり、国民経済を支えるべき国家財政までが国債による借金漬けになっているわけである。
ここにいたったのは、D銀行の関係者が〈日本の金融、資本市場の自由化のほとんどが、円・ドル委員会から生まれた〉(「N新聞」八八年四月二一日付)といっているとおりである。
円・ドル委員会(日米共同円・ドル・レート、金融ば資本市場問題特別部会)の設置は、八三年一月のレーガン大統領訪日のさいの日米蔵相によって共同発表された。
円・ドル委員会は計六回の会合をひらき、アメリカ側が日本の金融・資本市場の自由化と外国金融機関の日本市場への参入を求め、日本側も自由化の推進を誓約した。
その内容をまとめた報告書は、八四年五月に当時の竹下大蔵大臣とリーガン財務長官に提出され、円・ドル委員会そのものの使命は終わった。
だが、竹下大蔵大臣とリーガン財務長官は、報告書に盛られた事項が実施されるよう、フォローァップ(事後点検)が重要であると合意し、円・ドル委員会フォローアップ会合を開催してきた。
日米双方によるこの会合は、八八年四月二○日に六回目を開催し、日米金融市場部会に改組することを決めた。
国別ではアメリカが四六%を占めている。
したがって、対外証券投資全体では四一・五%までが、主として米国債にふり向けられ、アメリカの財政赤字を埋める役割を果たしたことになる。
八八年五月一日に実施した三○年もののアメリカ国憤の入札では、証券会社を中心にした日本勢が、全体の半分以上を落札軸に、「政策協調」をいっそう密にしていこうとするものである。
自民党政府は、円・ドル委員会の報告書を受け、八七年六月に「金融・資本市場の自由化、国際化に関する当面の展望」を発表。
「プラザ合意」や円・ドル委員会に、直接。
深くかかわってきた竹下首相は、八八年一月二五日の施政方針演説でも、「主要国間の協調的な経済政策の推進」をあげ、「政策協調と為替市場における協力」などもうたった。
日本の金融政策は、日本の〈自主的判断〉というより、アメリカ側の意向にそって、双方の金融大企業が国境を超えてビジネス・チャンスをひろげるためのものだった。
また、本来、政府からも独立し、中立の金融政策を担うべき中央銀行のN銀は、理事、局長クラスの幹部が円・ドル委員会に出席するとともに、政府・大蔵省と一体になって金融大企業のための「金融の自由化、国際化」を推進してきた。
いったい日銀は、だれのための中央銀行となっているのだろうか。
N銀には、マネー大国のマネーを動かす絶大な権限を象徴するような、ばかでかい丸テーブルがある。
N銀について定めたN銀行法(第一三条)が、戦後、一九四九年に改正され、最高意思決定機関である政策委員会が設置されたさい、秘書室がその政策委員会のために特注でつくらせた。
直径は二・一メートル。
新館が完成して、その八階へ政策委員会室が引越しするさいも、一騒動だった。
丸テーブルは、荷物専用エレベーターで途中の六階まで運びあげることができたが、そこから上は階段入口が二・一三メートルしかなく、わずか三センチの余裕しかなかった。
傷をつけないようにテーブルを布で包んで運びあげたという。
この丸テーブルを囲んで、日本の金融政策が決定されている。
政策委員会の運営の実際を知ろうと、広報担当者に「議事録はないのか」と聞くと、「ない」ということだった。
国民に公開されているものといえば、N銀行法の規定にもとづいて、国会に提出している年次報告書くらいである。
八六年度の年次報告書をみたが、公定歩合をいつどれだけ引き下げたかといった結果の報告にすぎず、政策決定の過程がわかるようなものではなかった。
国会にも、型通りの報告しかしていないということである。
広報に「政策決定の様子を知りたいので、政策委員のだれかに会って話を聞きたい」と申し込んだ。
しかるべき部署で検討したうえ、返答があった。
「お会いするのは適当でない」「前例がない」というものだった。
N銀のドアはいつもひらかれているというのは宣伝だけで、実際は閉ざされていた。
しかし、重要な時期に政策委員をつとめ、筋を通して政策委員会の公開などを求めていた人物がいたことを知った。
それも、「たった一人の造反」などといわれた。
その人物は、D銀行のT満作相談役だった。
彼は勧業銀行の頭取をつとめたが、会長当時の七一年に同行と第一銀行とが合併し、今日のD銀行となった。
合併後は相談役に退き、その二年後の七三年にN銀の政策委員になった。
すでにみたように、あの列島改造によって七二?七四年は、インフレと狂乱物価に襲われたが、彼はその最中に金融政策に誤りがあるのではないかという疑問をいだいて、政策委員に就任した。
一期四年間の任期中には、狂乱物価にはじまり、七五年からは毎年、赤字国債の大量発行がはじまった。
七七年には割引国債を発行して国債の多様化がはじまり、赤字国債の売却制限が緩和され、自由化が進行していく。
この国が、マネー大国へと変貌していく変わり目の重要な時代だった。
T相談役は、七五年八月の公定歩合の引き下げのさいにも、インフレの原因になりかねないとはつき政策委員会は、火曜、水曜の午前中、毎週二回ひらかれている。
T相談役が、丸テーブルについてみると、七人の政策委員はだれ一人、なにも発言せず、質問さえしなかった。
彼は就任当初の政策委員会の状況をつぎのように語っている。
〈総裁〔政策委員会議長〕が引き取って、ああ、これはこうこう、こういうことですょと説明されて、これでおしまいなのね。
あとまたシーンとしちゃってね、ほんとうにお通夜のような状態なのね。
なるほどねえ、スリーピング・ボード(居眠り委員会)とはよく名づけたものだと思ったんですよ〉政策委員会は、N銀行法第一三条にしたがって七人で構成されている。
内閣の任命である総裁と、官庁代表委員である大蔵省代表、経済企画庁代表がそれぞれ一人である。
残る四人が、国会の同意をえて内ていこう。
「七○歳になったのをキリにやめて、それっきりジャーナリズムの方とも縁を切ることにしました。
もう一○年になるし、八○歳をすぎてすっかりぼけちゃっているものですから、勘弁してください」いまもD銀行の相談役をつとめているが、「ヒマつぶしに銀行にでているだけで、もう仕事はタッチしていません」ということだった。
だが、言葉とは反対に、依然、明快だった。
というのも、彼は退任直後に、「E」(七七年五月三日・一○日合併号)の「N銀政策委員会の内幕11:居眠りからいつ目覚めるのか」で、同誌編集部の問いに明確に答えている。
いま話す論旨も、同様に明快だった。
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